顧客を増やすために取り組んだこと
kumaです。
前回も書きましたとりあえずやってみようと取りかかった3つのこと
- お客様・患者様(顧客)を可能な限り増やす
- 医療機関との繋がりを作る
- フリーとしてしか仕事したことしたことがないので法人を作って人を雇う前に自分が雇われて正社員として働いてみる。
顧客を増やすために行ったことが自分で発信をしようということでした。
当時、blogをやっている人が多く、天邪鬼な私は流行り物は絶対にやらね〜という謎な思考。
始めたのがFacebookでした。
私のFBページ
https://www.facebook.com/takuya.tanimoto.5
仕事用としては鍼灸マッサージ師 谷本卓也(←私です)というFBページ
https://www.facebook.com/RiseZhenJiumassajiDanDang/
そのほかに
・現場に出ること(ランニングクラブの練習会・記録会・合宿の帯同)
・レース・大会会場に足を運ぶこと
この3つをかなり精力的に行いました。
・発信すること
自分の思考を発信していくこと自分の存在を知ってもらい、興味を持ってもらう。
そこから仕事の内容活動を書くことで、どんなことをやっているのか知ってもらう
・現場に出ること
私はランニングやトライアスロンの競技者ではないため、知名度がない。
それを補うのは現場に出て根気強く草の根活動と種まきをし続けました。
・レース大会会場に足を運ぶこと
これは当然、興味があって好きだからできることですが、会場に行けば知り合いや顧客に出会います。その人たちは必ず友人や仲間がいますのでそこでまた顔を覚えてもらえることにつながります。
そして競技を絞りました。
ランニング(シースン秋〜春)
トライアスロン(シーズン春〜秋)
これで年間が回る状況を作ってシーズン通して大きな波が立たないようにする工夫をしました。
顧客を増やすためには治療する機会が必要です
下の写真は治療部屋です。治療道具は全て自分で揃えてやっていました。
この場所は最初はランニングクラブが関与しているお店のベッドを借りていましたが、その後は環境の変化があり。ランニングクラブの事務所の1室を治療部屋にしていただいて継続することができました。
フルタイムで病院で仕事をしていたので、対応できる時間は
月火水金 19:00〜21:00
木土曜 15:00〜21:00
1週間で最大、週によりますが18人の患者さんの対応が可能でした。
結果的にいうと開業する直前は1週間に20人くらいやってました。
1週間に20人ってそこそこの数なんです。
私のやり方は基本的に1対1で行うので複数人同時に診ることはしません。
60〜90分サイクルで行うと1日フルタイムで診療にあたっても8人が限界
時間の制約がある中でこの人数はなかなかのハードです。
これも、私に治療をする場を与えてくれた、ランニングクラブの監督には感謝しきれないです。
それもあって、現在自分が開設した治療院では後輩にベッド貸しを行なっています。治療院のベッドが空いている時間はフリーで活動している後輩にベッドを貸して顧客を増やすための足がかりになればと思っています。
先輩にやってもらったことは先輩に返すのではなく後輩たちに返してあげることで下につながっていければと思っています。
月に換算すると60人前後はコンスタントに治療していました。
カルテは150枚くらいはあったかな〜
そういう状態に持ってくるまで3年程度はかかりました。
多くの方から
ー もういい加減に自分の店出しなさい。
いろんな方からの叱咤激励があり、ついに決意します
でも、顧客を増やしていただけではないんです。
その間にやっていたことを次回への続きとして今日はここまで。
目先のことにでなく大事なこととは
出資者にお断りをしてから自分で捻出するために行ったことが大きく分けて3つ
- お客様・患者様(顧客)を可能な限り増やす
- 医療機関との繋がりを作る
- フリーとしてしか仕事したことしたことがないので法人を作って人を雇う前に自分が雇われて正社員として働いてみる。
1.についてはそのタイミングで声をかけていただいてランニングクラブの代表が出店するリラクゼーションのお店のベッド借りて、治療できる場所を確保
後にここを拠点として顧客を爆発的に増やすことになります。
2.3.医療機関で正社員として勤務することで解決
+ スポーツ関係の仕事を継続して自分の存在を多方面に知ってもらう
とそれっぽいこと言っていますが...
当初はお金を貯めるためになんでもいいからと考えたのが、病院で働きながらパチ屋で働くという意味が全くわからんことをしようとしていました。。。笑
夕方以降閉店までの時間で手っ取り早く稼げる方法というのがその当時それくらいしか考えられなかったんですね。
で....ちょうど新規開店を迎えるパチ屋がありまして、求人に行きましたら見事に落とされました。今まで面接落ちたことなかったので、非常に迷惑だと感じながらも何故?落ちたのか問い合わせました。
そこで返ってきた言葉にハッとさせるのです。
ー 君はここで働いたら絶対にダメな人種です。手に職があって活躍しているのに目先のお金にとらわれたらダメだ!君には稼ぐ方法もあって可能性が広がっているのだから本当は雇いたいけど絶対に雇わない。
いや〜どれだけ自分がバカでどれだけ人に恵まれているかということを思い知らされました。
そんな出来事を踏まえて上記のことをやろうと取りかかったわけです。
今日はここまで〜
独立までの道のり
2010年秋 勤めていた、学校法人の鍼灸の研究所を退職して独立の準備を始める。
この時点ではご利用いただける顧客は自分の中ではかなりいるとみていたが、実はそれは今となってみれば殆ど不確定なものだった。
その時に私には独立に向けて出資者がいた。
出資者。
ー 金は出すが口は出さないから好きなようにやってみろ。
という言葉を信じて準備を始めた。
完全にアタマの中はお花畑ちゃん。
チャンスと思いそれなりに準備を始めた。
その時は某古本屋にて買い漁った本の数々。。。
・法人の設立
・お金について
・経営
ありとあらゆることを勉強した。
のちにこの時に積み重ねた知識が自分を助けることになる。
そういう意味ではその時の出資者は今となっては自分にとってきっかけを与えてくれた最高の恩人だと思っている。
最終的には断りを入れてそこから4年間準備期間に入り、マイナスに...自分の中では地中に一回潜った感覚
全てがゼロからスタートとなって精神的にもかなり追い込まれた時期
2011年の震災であった。
そこから独立を延期し出資者に断りを入れ、自分で金の準備をする決意をした年である。
この震災が起こった時は僕は物件を探していた時期
起こった瞬間に僕は目が醒めることとなる。
絶対に今やってはいけない。そう言われた感覚だった。
それでも1度延期をしてほとぼり冷めたらやろうとまだ、アタマの中はお花畑だった笑
現実はどんどん厳しくなる。
震災直後、仲間と医療ボランティアに行く。そこで見た現実は僕がいかに甘かったのかを思い知ることになる。
『タダほど高いものはない。』
一生、首根っこ掴まれた状態でやることは独立とは言わないし、一生搾取されることであって自分の自由にできるわけない。
売上の20~30%搾取されたら終わりですよ。
知識をつければつけるほどこれは甘い罠であることがわかって行く。チャンスではない。
断りを入れる決定的な事項が核になるところに口を出すようになる。
っていうか当たり前なんだけど。
これで僕は決心した。やりたいことをやるには自分で金を捻出するしかないと。
全てを整理して独立に向けて準備してきたのでゼロから構築しなければならないことを考えた時にゾッとしたが、やることは明確になっていた。
それは奇しくも、出資者に言われたことを忠実にやってきたからこそ明確になっていた。
ー 仕組みを分かれば世の中の仕組みがわかるからどんなに時間かかっても法人も自分で設立しろ。金を払えば専門家にお願いできるがそれは儲かってからやればいい。
だから経理も含めて自分でやれ。それがお前の身を助けることになる。
このおかげで仕組みはわかった。だから断ることができたのだ。
今日はここまで〜
っていうかKumaって誰よ?
『Kumaの頭の中』って。。。
ていうか...Kumaって誰よっていう話。
Kumaのイントロダクションです。
鍼灸マッサージ師 36歳 雄 独身笑
21歳 スポーツトレーナーとして仕事を始め
26歳 はり師・きゅう師・あん摩マッサージ指圧師 取得
33歳 株式Lifeblood 設立 Lifeblood 鍼灸マッサージ院 運営
現在、会社年齢3歳のまだまだよちよち子供の会社の代表です。
頭の中を整理しながら特に会社を作ったところまでのプロセスを面白可笑しく
書きながら、僕の好きな写真やご飯や愛犬などの日常を切り取ったことを書いていこうと思います。
特に、最初に会社を起こそうとしたのが29歳の時の2011年
その時にはkumaは支援者がいました。
僕はこれをチャンスと思ったんですよね。
ギリギリで気付いて延期したのは自然災害があったから。
良い面も悪い面もある。
そこで何を思いどう行動してきたかを細かく書いていきたいと思います。
成功体験と失敗体験を書くことでこれから独立しようと思っている人の道しるべにもなるかもしれません。
あと、惜しげも無く会社の宣伝書いていきます。
では、1回目はこんな感じで。